PICTURE BOOK
犬の種類図鑑
ペキニーズ
History
歴史と概要
「袖犬」ペキニーズ
ペキニーズの出身は、中国である。そのルーツは定かではないが、ヨーロッパにいた小型スパニエルが、シルクロードを経て中国に入ってきたと考えられている。またチベットから中国の王室に献上されたラサ・アプソが祖先犬であるとも言われている。獅子を釈迦のシンボルとしていた中国のラマ教が、獅子や狛犬に似せた犬にしようとして作出し「獅子犬」とも呼ばれてとても神聖な犬として扱われた。獅子犬だけあって、皇帝の眼の届く範囲でしか飼育されず、ペキニーズは中国の宮廷内で門外不出の犬として限られたごく少数の人間にしか飼育が許されていなかったのは、当時の文献から事実として明らかにされている。ペキニーズの飼育に関しての文献は1000年以上前にさかのぼることができ、周や元の時代にも記述を見つけることができる。
特に唐の時代(8~9世紀頃)、多くのペキニーズが王族の一員としてかわいがられた。この時代、ペキニーズの繁殖が王宮宦官の後援によって大々的、かつ厳しく行われ、ペキニーズを不当に扱うものは死刑にされるほど厳しく管理されながら行われた。また、宮廷内にはペキニーズのスタンダードが厳しく定められ、そのスタンダードを満たさないペキニーズは容赦なく殺された。当時、中国の皇帝たちは、ぺキニーズを袖に入れてかわいがっていたため、「袖犬」とも呼ばれている。またペキニーズは宗教的儀式にも参加し、皇帝が亡くなると、皇帝が溺愛していたペキニーズが墓のところまで案内する役を担った。
1860年、アヘン戦争が勃発。イギリスは中国皇帝の庭園であった頤和園を略奪したが、その宮廷内で多数のペキニーズが殺されていた。中国人が、イギリス人にペキニーズが渡ることを恐れたためだ。しかしその多くの死骸の中、奇跡的に生き延びた5頭のペキニーズがいた。この奇跡的に生き延びた5頭を、侵略してきたイギリス人が戦利品として持ち帰った。そのうちの一頭がヴィクトリア女王に献上され注目の的となり、イギリスでの交配の歴史が始まり、その後全世界へと知れ渡っていく。しかし、それと同時に中国の宮廷内という狭い環境で飼育されていたペキニーズは、本国では絶滅してしまった。現在は、逆輸入されているので中国の中でもペキニーズの姿を見かけることはできる。
ペキニーズの性質は、犬らしくない犬と言われるほど、犬的な「飼い主に忠実」の要素はあまり高くなく、むしろ猫のようにマイペース型といえるだろう。また、今までさんざん甘やかされただけあって怖いもの知らず。尻尾が足の間に挟まって、ビビっている姿はまず見かけられないだろう。
被毛のブラッシングは毎日行い、毛玉ができないようにしたほうが良い。
しかしながら、白人の手に渡らないようにするために、獅子犬、聖犬を殺すという行為はあまりに矛盾しているように思えてならない。
Lifespan
寿命
12~13年
Alias
別名
ペキン・パラストフント
Size
体重・体高
体重:3~6kg
体高:15~23cm