常識にとらわれる人間
私たちは世界の常識や周囲の意見に多大なる影響を受けています。 それは時に、自分自身の目で見た事や心で感じた事よりも優先されてしまうことがあるのです。 愛犬の問題について世間の常識にとらわれず、自分自身で深く考えてみる事も重要です。 愛犬と1番長い時間を共有しているのは、他でもない飼い主さんなのですから。 私たちは【問題】があるとその解決策、答えを求めます。 しかし多くの場合、答えを見つけ出そうと必死になるあまりに問題を静かに観察し調べる事が出来ないでいます。 答えを探し求めれば私たちはそれを見つけ出す事が出来るでしょう。 しかし、実際の問題は持続していきます。 答えや解決策は表面的な改善策であって、問題に対する真の理解は得られていないのです。 理解には静かな観察が必要です。 積極的な行動によって得られるものではありません。 また、理解を得たいと思うならば、常識・周囲または自分の非難や正当化からぬけださなければなりません。 理解することよりも、その問題を抑圧するほうが容易です。 私もそうです、人に答えを求めたり、相手に変化を押しつけたりする事の方が楽です。 だからこそ人は答えを求めるのです。 抑圧は表面上の安定をもたらしますが、それは観念や型への押し付けです。 理解には柔軟性・感受性・そして思いやりが必要です。 【答え】が重要なのではないということ。 重要なのはあくまで【問題】です。 深く考えなければならないのはその背景・原因・思い・・・ さて、あなたが今抱えている問題について、常識を離れて静かに考えることができているでしょうか。 問題を自分自身から離れた別のモノとみなしているかぎりは果てしない葛藤となることでしょう。 問題と感じているのは自分自身で、それを作り出しているのも自分なのだということ。 問題ではなく、1つの出来事として追求してみると新しい見方が出来るかもしれません。 生全体としての過程は忘れ去られるか、または故意に無視されるようになっています。 それは、生全体として理解するより社会的、政治的活動に身を投じる方がずっと容易であるからでしょう。 devote my life to dogs☆ にほんブログ村